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だから、というわけでもあり、というわけでもないのですが、上の記事で書ききれてないことがあって、歌会にはなんであんなにライブ感があるのか?ってことなんですよね。
これは、歌会のもうひとつのなぞとして、ずっと頭の中に残っていたのですが、いとうせいこうさんが、その答えのひとつを書いていました。
いとう 脳の中に空いてる部分があって、そこで計算してるっていうことかな。それはあると思う。多分平安の歌人たちも、同じことをやってたと思うよ。たぶん音楽的にはありえないBPM32とかで、ものすごいゆっくり「ひさかたのー」って。絶対次に「光」が出てくるわけだから、みんながそれを共有して「何の光なわけ?」って映像的なものをゆっくり楽しむ。そこで「のどけき春の日に」とか歌うわけよね。その時間の中で、中国の漢詩から何から全部ワーッと共有してる。そしてオチで詠み手だけが言えることがドンッて出てくる。そうするとやっぱり「おー」って言ったはず。コールアンドレスポンスが歌の会の中でなかったわけがない。
宇多丸 たしかに!
いとう 五七五の場合は、「何何の」「うん」「何何何の」「う」「何何の」「うん」と、休符が一拍半拍一拍になっている。実はこの休符がすごく重要で、これはレスポンスのための休符なんだっていうのが俺の考えなのよ。「何何の」って言ったら「おっ」とか「うん」、「どうする」と合いの手を入れるコミュニケーションがあったと考えなければ、あの休符が生きないよね。五七、七五は日本語の伝統なんだっていう人は多いけど、なんでその伝統がエンジンとして素晴らしかったかは、やっぱり聞き手の側から考える必要があると思うわけ。
BPM32という発想はホントになかったところで、でも歌会はBPM32なんだと思うと、突然いろんなことがしっくりくるんですよね。
だから、普段はもっと速いBPMだけど、歌って踊っているアイドルのみなさんが、そのステージにはまるのも当然だし、われわれが普段あんまり慣れてないBPMなだけのライブなんだと納得できるわけです。
で、いとうせいこうさんが、引用部の後半で言っている休符の部分を埋めようとする、いや埋めたくて仕方がないというのが、宮田愛萌さんが小説という形で表現しようとしたことなんじゃないかとも思えるわけです。2次創作というのは、まさに聞き手の行動でもあるわけですから。
宮田愛萌「きらきらし」というすごい本の話をしたい #313冊目 #1000冊紹介する
どこにケンカを売っているのかはわからないが、これだけ全方位にケンカ売ってる本は見たことがない
mitaimon.com
で、もちろん小説には小説のBPMってありますよねってことでもあるんですよね。
もちろん、私は短歌も歌会も小説もなんもわかってないですが、それを理解するための概念としてBPMを使うというのは、これはすごくいい武器をもらったという気がしています。
ということで、この本読まなきゃなあ。
▼言語はこうして生まれる―「即興する脳」とジェスチャーゲーム― Kindle版
いや、私も短歌をやってみるべきなんですかね?